52本目・『現代任侠史』その1
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「『現代任侠史』その2」
「『現代任侠史』その3」
「『現代任侠史』その4」
「『現代任侠史』その5」
石井輝男生誕百年である。
先日店頭に並んだ映画秘宝。石井輝男生誕百年の特集が組まれた。寄稿した。
石井さんの誕生日は元旦である。
お年賀に石井さんちを訪れた時期があった。お誕生日おめでとう会を兼ねていたのかもしれない。あまり記憶にない。
ちょうどその頃撮っていたのが「無頼平野」でダンサー役の女性たちがずらり並んだこともあった。石井さんはひとり暮らしだった。自炊もあまりしてなかった。ピザを何枚も何枚も注文して食べた。石井さんちの洋風居間に七、八人の美女が揃ったその絵はいまなら少年チャンピオン連載中「ヤンキーJKクズハナちゃん」の世界である。
かなりどきどきしていたし、このなかの誰かと親密になったりすることもあるんだろうかと思ったりもしたがまったくそんなことはなかった。いちど石井さんのせいで出演していた女性俳優におそらく嫌われた。俺にまったく責任はなく、すべて石井さんのせいだったので後日ひどいじゃないですかと愚痴っぽく言ったら、
「わ! ずうずうしい! モテるつもりだったのか!」
逆に批難された。
生誕百年ということは生きていれば百歳だが石井さんはもう亡くなった。
亡くなった報せを受けてただちに深大寺の石井さんちに向った。激しい雨で稲光が走っていた。石井さんは洋風居間で寝ていた。布団に横になっていた。新東宝や東映のひとがいろいろなにかしていた。とはいえとくべつななにかはなかった。石井さんは無宗教だったのだ。すこし前に高倉健さんもいらしたと東映のひとから聞いた。
後日、都内の大会場で送る会のようなものが開催された。そのときも無宗教だったのでなにか不思議な雰囲気だった。東映の岡田茂当時会長だったろうか、最初にあいさつした。
寂しいし、喪失感はあるし、悲しいし、それはそうなのだが誰も暗くなかった。俺も。それは通夜のときもそんな感じだった。
死んだと思えない。石井さんは俺のなかで生きている。石井さんに死は似合わない。いろいろ思うところはあり事実そう思うのだがそれ以上に思うことがある。
死ぬようなひとではない、ということだ。
「あのひとが死んだりするわけがないじゃない」みたいな物言いがたまにあると思うが石井輝男という人こそがそれである。みなさん、そう思っていたのではないか。送る会のときもその雰囲気は沈痛とか追悼とかそんな雰囲気ではなかった。
会場に入るなり目にものすごいスピードで梶間俊一さんが走ってきた。久しぶりだったので挨拶しようとしたがスピードも緩めず「おう」と言って駆け抜けていった。そして今度はすごいスピードで目の前を横切っていった。送る会みたいな雰囲気ではなかった。運動会のようだった。