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水風呂でムカついたこと、Z世代がムカつく、文藝のムラ社会がムカつく:箕輪厚介「今月これにムカついた」 連載6

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でも、広告業界のオッサンたちは、その世代のなかの一部の意識の高い人だけを祀り上げてイベントを企画することに熱心だ。それに呼ばれるZ世代は、ホントに一部のエリートや、変わり者のアーティストくらいで、世代を代表してるわけがないのに…。

結局、オッサンたちがZ世代のことを自分がいかに理解しているかをアピールするためのダシにしているんだよね。

おそらくZ世代のことをわかっていること自体が彼らの狭い世界の中で一種のブランドになっているんだと思う。だから、オッサンが企画して、オッサンが来場して、オッサンが「いやあ、勉強になるなあ」って感想をこぼして悦に入る意味のない循環が行なわれるイベントが作り出されているんだと思う。その構造にムカつくし、そんなオッサンたちにラベリングされることをありがたがって、登壇しちゃうZ世代もどうかと思う。

世代についてはラベリングする癖に、今の広告業界って、「男は〇〇、女は〇〇」みたいなジェンダーに関わることには非常に敏感で極力避けるようにしている。同じ構造に過ぎないことをやっているんだから、とても矛盾してると思うね。

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文藝のムラ社会がムカつく

作家に群がる文藝編集者のムラ社会もムカつく。僕は、日本の小説や文学界をつまらなくしてるのは、作家ではなく、その周りにいるクソみたいな文藝編集者たちだと思っている。どんな業界でも競争がなくなった時点で終わってしまうけれど、日本の文学界はまさにそれだ。

ある著名作家ひとりに、各社の出版社の担当者が一人ずつ就いてインナーサークルが形成されていて、「今回が新潮社だったから、次の作品は集英社から…」のように、持ち回りで作品が出される仕組みが当たり前になっている。その輪のなかに作家を囲い込んで、彼らだけで作家を接待して、もし飲み会に来ない編集者がいたら、そいつをハブにしたりする。当然、新しい編集者は参入すること自体が難しい。

そんな閉塞的な環境じゃ面白い作品なんて絶対に出てこない。本来は魅力的な提案をした編集者と仕事をした方が作家にとっても絶対良いはずなのに、その競争が生まれないんだから当たり前だろう。

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