演出家・藤井健太郎の尖り方
人の不快や怒りに理解を示さず、相手の尊厳や印象を貶め、大勢で取り囲み、ときに攻撃を加えながらあざ笑う。水ダウの趣向は、「いじめ」のシステムとよく似ている。
「サイコパスいじめバラエティー」のターゲットとしておあつらえ向きだったのが、安田大サーカス・クロちゃんだ。どれほど過酷な検証を行わせても、相手がクロちゃんなら番組側に批判が向くことはない。一方のクロちゃんも、番組に暴かれるクズキャラをビジネス化しており、いわば両者はウィンウィンの関係とも言える。
しかし、先の板東英二のようにイメージ悪化が仕事の減少に繋がる者にとって、水ダウはルーズしか生まない。おぼん・こぼんはなんとか解散を免れたが、ドッキリで大喧嘩をさせられた矢口真里と遠野なぎこは、壊れた関係をその後も修復することができず、絶縁状態になった。また、夫婦お笑いコンビの妻が夫に「コンビ解散か離婚かを迫る」という企画でも、「夫婦の関係を完全に壊しかねない」として多くの批判が噴出している。
こうした企画を「笑い」と考えて立案する者も、それを見て笑う者も、人間として大切なものを欠落させている気がする。
いじめには、扇動する者が必ず存在する。水ダウでは、総合演出の藤井健太郎がそれにあたる。藤井は言う。
「よく、僕の番組は『悪意がある』とか『攻めてる』などと言われます。(中略)自分が面白いというモノを作ったら、結果的に、はたから見てギリギリのところに立っていた」
攻めていると言われるのがよほど嬉しいのか、合コンで「俺ってこんなヤツなんだよね」と、聞いてもいないのにひとり語りをはじめる男のようでクソ寒い。
非人道的なことをすれば尖っている? コンプライアンスに抵抗すれば攻めている? ならば、女子中学生2人と3Pをして児童買春で逮捕された番組ディレクターが、水ダウでは一番尖って攻めていることになる。
自らのセンスには絶対の自信があるらしく、「編集もナレーション原稿もすべて自分で行う」「スタジオのウケがもうひとつでも、自分が面白いと思ったら使う」「スタッフの意見を聞くVTRチェックはしない」「昔から面白いモノをジャッジする能力、センス的な部分には少しだけ自信があった」と、やたら「自分」を押し出すのが鼻につく。暗に「俺が面白いと思うものを作ったのだから、水ダウの人気は俺のお陰」とアピールしたいのか?
水ダウがカルチャー系雑誌で特集され、「攻めているディレクター」として自身も注目を集めていた2017年、藤井はこんなツイートをしている。
「ある程度優秀なフリーのTVディレクターたちと、今どの局が一番つまらないか? って話をしたら、答えはひとつしか出てこないです」
言葉の端々に増長や不遜が見えるのはもちろんだが、「個人的な意見」ではなく、わざわざ「みんなもそう言っている」と声を大きくするやり口が、やはりいじめを扇動する者の精神性に酷似している。
音楽や映像などを使った「カルチャー感」にもこだわりがある様子。しかし、そのこだわりを聞いてみると、番組の内容やタイトルになぞらえた楽曲をサンプリングし、オープニングに使う程度のこと。これぐらいの小ネタを自慢気に「こだわり」などと言われても、小説や漫画の伏線等と比べあまりに薄っぺらで、「普通の視聴者は気づかなくていい部分」と自慢気に語っているのが不憫にさえ思えてくる。
自分の表現に対し、「分かる人だけ分かればいい」と達観するアーティストに憧れているのかも知れないが、そんな大仰で独創性のある番組ではない。
水ダウを見ていない人は、その笑いが「分からない」から見ていないのではない。こんなもので笑っていたら自らの人間性を貶めることが分かっているから、相手にしていないだけだ。
画像/TBS公式HP、水曜日のダウンタウンのページより
初出/『実話BUNKAタブー』2020年1月号
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