まさかだった新代表の落選
「逆風をはね返す自身の力量が足りなかったと言わざるを得ない」
大惨敗だ。自公政権過半数割れという結果になった2024年秋の総選挙。裏金事件の自民党は当然の結果だが、公明党の傷はもっと大きい。
公明の公示前議席は32。小選挙区の立候補者11人の全員当選と比例代表で現有23議席以上の獲得を目標に掲げたが、結果はなんと8議席も落としてわずかに24議席。冒頭の反省の弁は石井啓一代表(当時)。しかも、石井氏本人も落選した。
総選挙前に世代交代を、と山口那津男氏から石井氏へ代表が代わり、組織を刷新して総選挙に臨んだにも関わらず、その石井氏が落選。選挙後には、ベテランとしての経験、また新世代に人材がまだ育っていないことなどから、国交大臣だった斉藤鉄夫氏が代表に就いた。公明党にとって目まぐるしく、深刻だった大波乱から半年あまりが過ぎた。
斉藤代表は周辺にこう本音を漏らしたという。「まったく予期していなかった。昨年の9月にじつに15年ぶりに新代表でスタートしたばかりだったし、まさか石井さんが落選するとはこれっぽっちも思ってなかった。事前の党の独自調査も決して悪い数字じゃなかった。自分は昭和27年生まれで山口さんと同じ。マスコミに逆行人事って書かれて正直頭にきた。でも割りきった。どうぞ逆行と言ってくださって結構。しかし、この非常事態に党を再建して東京都議選、参議院選挙に勝って、そこで若い世代にしっかり引き継ぐのはベテランにしかできない。それが自分の天命だと腹を決めた」
しかし、公明党は自民党の裏金事件の煽りを食っただけだろうか。総選挙の大きな敗因は、ここ5~6年の選挙でどんどん凋落傾向が続いていた公明党自身が長期的な課題を抱えているからだ。
「今回の総選挙、本当にここ最近にないくらいの危機感を持って、できることは何でもやって戦ったが、突き付けられたのは厳しい現実だった」 公明党幹部の表情は暗く重い。
公明党の右肩下がりの選挙力、組織力の低下は、国政選挙の比例票を見れば一目瞭然だ。かつては、最大の支持団体である創価学会の票、さらにその学会員たちがドブ板で戸別訪問したり、電話などで友人知人へ支持を広げたりするいわゆるフレンド票(F票)で、最低800万票というのが公明党の絶対的ラインだった。2009年の衆院選では比例区で805万票を獲得していた。
しかし、10年の参院選では763万票と800万票を割り込み、以降12年の衆院選の711万票、16年の参院選では757万票と700万票台を推移。そして、17年の衆院選では697万票、19年の参院選では653万票と、とうとう700万票すら割りこんでしまったのだ。