みいちゃんは療育手帳を持っている
介護・障害福祉を取り上げることの多いライター・田口ゆうによる『「みいちゃんが殺されるまでの12か月」新宿キャバクラを舞台に描く衝撃作『みいちゃんと山田さん』。作者が明かす創作の裏側』(「日刊SPA!」25年05月22日)という記事がある。
田口の、
本書は、みいちゃんのエピソードやムウちゃんが療育手帳保持の障害者であることから、軽度知的障害ではないか等の感想が上がっているが、障害者福祉に興味を持つ層に向けて描いたのか?
という質問に対して、
みいちゃんがどんな子なのかは、読者の判断にゆだねています。色々な感想を持つ方がいると思いますが、特に障害福祉を描く目的の作品ではありません。夜のキャバクラという、物語にしやすい舞台に、みいちゃんや山田さんといった性格が真逆のキャラクターを配置し、物語を作りました。
と亜月は答えている。
また、作品を描くにあたって少年犯罪や心理学系の書籍を参考にしたり、支援学校の教師や性風俗従事者のための無料相談窓口・風テラスなどの団体に取材ということも語られており、作品を考える上で重要な記事だと思う。
障害者福祉に興味を持つ層に向けて描かれたものではないのは、読めばすぐわかることだし、「みいちゃん」がどういう子なのか読者の判断にまかせているというのも無理がある。
この作品は作者の体験をベースに軽度知的障害の人や取材などで得た水商売や風俗、パパ活等に従事する人や客の極端で不快なエピソードを過剰に積み込み、体裁程度の障害者福祉についての情報が付け加えられたような作品なのではないか。障害者福祉に関わっている当事者や関係者が読んで肯定的にとらえられるような作品ではない。
「読者の判断にゆだねています」というが作中で「みいちゃん」が療育手帳を持っていることが描写されるなど、あからさまに示唆されている以上、それは通らないのではないか。明言することから逃げているだけのように思える。
作中の極端で不快なエピソードには実際の出来事がモデルとなっているものが多いと思うが、極端なケースを集めて一人の人間に盛ってしまえば、それは現実の当事者とは離れてしまうわけで、当事者に対する偏見を育てているという批判があっても不思議ではない。
作者や編集部の作品に関する意図がどこにあるのかは実際のところわからないが、少なくとも読者がそういうエピソードの不快さを見世物的に消費することは想定されているのではないだろうか。
