PR
PR

アイドルの「いい下手さ」とは:ロマン優光連載113【2018年7月13日記事の再掲載】

連載
連載
PR
PR

アマチュアリズム溢れる歌声が評価されるようになる

そういった異形の音楽として初期アイドルポップスは存在していたわけだが、そこに音楽としての価値を見出だす人も生まれてくる。

世間で下に見られているアイドルポップスの楽曲や演奏の素晴らしさを持ち上げてみせて自分の音楽的な知見を誇示したいだけの逆張り的な人間もいたが、それより重要なのはアイドルポップスの声の魅力に注目した人々だろう。矯正されていない声。コントロールされていない歌。そういったものの魅力に囚われた人たちだ。フォークやアンダーグランドのロック、パンクロックといった古典的なショウビズの世界ではない音楽、体系的に訓練された肉体から発せられるのではない、訓練されない肉体から発せられる素の歌声から溢れる個性と情感に対して魅力されるのと同じものであっただろう。ようするにアマチュアリズム溢れる歌声を好むということだ。現代においては、ある意味においてアイドルポップスの古典的な評価軸の一つとなっている価値観だ。

PR

自分の一番好きなアイドルはTIFに出てない:ロマン優光連載251
アイドル性とはなんなのか:ロマン優光連載115

また、物心ついた時にはアイドルポップスが普通に流れていた世代、今の30代後半から40代の人々は、最初からそれを普通に音楽として聞いていたわけで、その異形性を音楽的な魅力として自然と捉えるようになった人もいるだろう。おニャン子クラブ世代でSPEEDをアイドルとしては受け止められなかった人たちは、そういった部分の刷り込みが大きかったのだと思われる。おニャン子クラブが残した訓練されない歌声の数々は、それ以前のアイドルポップス(伝説的にすごい歌唱の人もいたが、それは例外だから伝説的なのだ)のそれよりも格段に飛躍したものであり、マニアックな聴き手のアイドルの歌声に関する意識に影響を強く与えたと思われる。また、この世代の思春期から青年期にあたる時期には、洋楽的にはパンク/NWの人気もある程度高く、国内でも自主制作ブーム、インディーズブーム、バンドブーム、欧米に連動したオルタナティブなバンドシーンの形成といったこともあり、そのためか、アイドルとパンクの類似性について発言する人間が多い世代でもある。

本来であれば、マニアックな領域でしか聴くことができないようなアマチュアリズム溢れる歌声が日常的に媒体を通じて流れていたのはおかしな話で、それは欧米の芸能の世界に比べて、日本のそれが刹那的で雑だったということのおかげだろう。

短期的に雑に金を稼ごうとしたおかげで、そういった歪な商品を流通させることになり、独自の音楽的な文化をつくることになったのだから、「おかげ」というしかない。ありがたい話だ。

偶然産まれたクオリティ高い楽曲にアマチュアリズム溢れる歌声をのっける手法を意図的に行われるようになっていく過程の中でアイドルポップスは成長していったのだ。もっとも商業的な音楽が、歌声のアマチュアリズムをもっとも体現するジャンルの一つでもあったのは非常に奇妙な出来事ではある。

タイトルとURLをコピーしました